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あの戒我

僕は、そんな国粋主義者と言うほどのものではないのだが、留学中に他の国の人から「あなたの国の国旗がなつかしいでしょうと言われてもピンとこない」と言っていた友人については複雑な感情を持った。しかし、ある種のイデオロギーに汚染された組織が牛耳る教育の現場のせいにするつもりはない。彼らに直接触れたものは、案外逆の感想を持つのではないかと思えるからだ。たとえその教師のふるまいや性格に心酔していても、そのイデオロギーによって操られ喋るときの彼らの未熟さ幼さが全面を覆う口ぶりで発せられることばを誰も本気で聞くものはいない。あれがなけりゃいい人なんだけどね、と僕らみんなは思っていた。

美術の教師がそうだった。
僕は、彼の授業の時間が楽しみだった。
変な教条的な宣言文で赤い顔をして四方八方につばを飛ばす季節をのぞけば、ふだんの彼は面白いやつだった。
ある時彼は「悪趣味な芸術」について紹介してくれた。

つまり、人間以上の主体がわれら人間に伝えようとしているのではないかと思えるような表現なんだ。ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(彼は苦労してフルネームを言った)って君たち知ってるだろ?気味の悪い小説を書く作家なんだけど、その世界なんだよ。
日本画に使う顔料は鉱物由来のものが多いけれども、植物や動物由来のものもある。紅花の赤や藍の青、サンゴのピンクや臙脂虫の分泌物の濃い赤。
サンゴ虫が自分たちを材料にして人間が描いた絵をみたらどんな感じがするだろう、みたいなことなんだよ。

たとえば、ある展覧会でコスタリカアーティストが、「飢えた犬」を展示した。犬に餌や水をやることを彼は禁止した。犬はそこで死んでいった。
実際はそうなのかどうかはわからない。誰も見ていない夜に作者は犬に餌や水をやっていて、最後の日に街に放した、という説明をするものもいた。作家が示したのはそのコンセプトであって、「安全地帯にいて批評しかできない観客の欺瞞を突いたのだ」というわけ。芸術と言うにはあまりに陳腐で、話にならない。芸がない。ベタ。しかし、それ以上に「悪趣味」だ。この作家は人間そのものにぴったりとへばりついているものを材料にして絵を描いたんだよ。人肉を材料にしたといってもいい。

このあいだの火曜日、街の中心を走る道路に黒い筋がとぎれとぎれ、えんえんと引かれていた。
もちろんそれは芸術じゃなくて事故、傷害事件だ。そういうことを思いつくこと自体が「悪趣味」なわけ。ボクは「悪趣味」なのかな。被害者や遺族の感情を思えば、そんなことを考えるものは鬼だ、人間じゃない。逆に言えば、人間の閾を越えたところに行ってしまったものが、そういう行動をすると言っていい。外部からの声ですね。私たちには陳腐なものに見えているんだけど、すぐに思考停止して頭の中から追い出してしまわなければいけないものだ。じっとみていると気持ちが悪くなる。でも誰の心の奥にも存在しているから、誰に起こっても不思議じゃないことなんだ。

そう、ボクの言いたいのは、、、この対極にあるものが米帝のいわゆる「きれいな戦争」だと思う。ひとりを殺せば殺人犯、何十人を殺せば国家の英雄…

それから先はつまらない話だった。

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