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あの芽壺

国際交流の場で出会ったわたしたち。たしかにあなたが言うように人間はさまざまな場所でさまざまな理由からものを書く。書かずにはおられない人たちの中であなただけが浮いていたようです。ほんとうにあなたは、せっぱつまって、自分の中の何かにおわれるようにして書いたことがあるんだろうか。

わけのわからない、自分でもコントロールできない、無意識から吐き出さずにはおられないどろどろしたものが心の底から湧いて出てくる。そのようなものにかりたたれて人はものを書くのだと思っていました。あなたはとても冷静な判断で、計画を立て、結果どのような成果が出るのかを予測し、そのための技術を器用に使って小説を書く。自分が伝えたいメッセージは一義性のもので、誤解されることはない。あなたの意識的に計算され書かれた有名な小説の続編を読んでも、ああそうですか、というような感想しか持つことができなかった。だからあの論文についても、わたしには根本的な誤解があるように思えてしまう。
見える範囲だけで生きているんですね。

無意識のままに発せられているというメッセージ、いまここに無意識のコミュニケーションがあることを伝えるメッセージとして書かれている文学はあなたとは無縁のように思えます。

あなたの国のように産業で成功したところでは、誰もがそのように自分より貧しい人を軽蔑の目で見るのでしょうか。

わたしたちはずっとこのまま亡んでいくのでしょう。
そのことにわたしたちは自分たちの一生をささげていくのでしょう。
選んだ道です。何の不服もありません。
もう二度と会うこともないのでしょう。

あなたが望んでいるように、その成功をお祈りいたします。


引用;デカルトからベイトソンへ,モリス・バーマン,柴田元幸訳,国文社,1989.11.20.

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