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あの縁態

すべて合法的なものだったので恥ずべきことではなかったのだが、居心地が悪かった。
根っからの貧乏性なのか、農民根性がぬけないのか、顧客たちがその生涯の中で汗水たらしてモノを生産しやっと得たわずかな金額を、業界が決定した正規の料金システムによって、吸い上げていくことにとまどいがあった。

客観的には彼は何も形のあるものはつくっていなかった。ただ、顧客たちから得た情報について判断し、相手の生存が優位になるであろう情報を口当たりのいいものに加工して渡しただけなのだ。それに満足しない何人かの顧客がいて、金額は互いの交渉によって決定されるべきなのだと言いたいなら、支払いを拒否すればいい。彼は彼らとその交渉をするつもりはない。債権取立て業者に任せ、状況は彼の手を離れる。

しかし、それには代償があった。悪銭身につかずではないが、むくむくと湧き出るあぶくのように増え続けたそれは、彼に奉仕するものたちへ与えられ消えていった。その浪費はゼロのために与えられたものではない。必然のものだった。
忘れてはいけない記憶がもたらす運命へ捧げられたものだった。


すべてを失ってしまった現在の彼には、以前の顧客たちが持っていたそのルサンチマンは痛烈な皮肉に見えた。
立ち寄った深夜のコンビニで、酔っ払いが彼に聞かせるようにこう言った。
「ちゃらちゃらして金儲けしてるやつらは、俺達にすこしぐらいめぐんでくれてもいいのに」

彼のポケットの中には小銭しかなく、借金は何億にふくらんでいることをこの酔っ払いは知らないのだと思って、彼は微笑んだ。


引用;Babylon revisited,F.Scott Fitzgerald, Saturday Evening Post (21 February 1931)
http://gutenberg.net.au/fsf/BABYLON-REVISITED.html

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