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あの出春

ぼくが彼女を所有していたというより、彼女がぼくを所有していたというべきだったんだろうあの頃は、という小説を書いた作家はどこかでこう言っている。狂っていたのははたしてどちらだったんだ。

ぼくの奇行は(あのシステムによる)演技の一部だが、彼女の場合は天然だ。
誰も彼女をコントロールすることはできなかった。誰もハリケーンの針路を変えられないように。そして、そのエネルギーを利用して何かをしようと考えるのは自殺行為だった。あとに残るのは死屍累々たる山や河。

人類が骨を宇宙までほうりなげた映画をとった監督はうまく彼女を使ったと思うよ。誰も彼女を所有することはできない、だったら彼女自身に語らせればいい、というわけ。でもみごとに彼女は画面からはみだしていた。

All work and no play makes Jack a dull boy
All work and no play makes Jack a dull boy
All work and no play makes Jack a dull boy

アルファベット一文字一文字に注意を集中していると、それらが独自に主張し動き出す。
ソリティアみたいなゲ-ムと同じなんだ。怖がることはないと思うよ。

対話の否定、相互理解の拒絶、純粋暴力(≒死・破壊)の肯定…

ぼくが内にこもるのに反比例して、彼女は行動した。「恐怖」に追い立てられるようにしてバットをふりまわした。ぼくには自分が受ける暴力の意味が理解できなかった。


引用;テロリズムWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

あの新負


彼女は欲張りだったので、好きと嫌いを同時に言う

気にしなくてもいいよ、と言いながらすぐにしかめっつらをしたりして

何回も何回も、僕の肩にキスしながら背中をぶつまねをする

窓の外で冷たい雨が降っている時だって容赦しないから

足もとから凍っていく僕にそのままのポーズでいなさいと言い残してどこかへいく

たりないから補うんだね、でも相手に吸収するチカラがなかったときにはどうするんだろう?と僕はかたまったままでつぶやく

どうするんだろう?
どうするんだろう?吸収するチカラをつけるんだろうか?
いままでそれでうまくいったことなんてなかったのに
どうするんだろう?


エサがちょっとたりない群のほうが、エサをたっぷり与えた群より長命だったというマウスの実験があるよと戻ってきた彼女は言う

摂取した栄養分は、体の中で使われるために分解加工され、利用され
そのための反応にたくさんの酵素が使われる

その個体に特有な酵素が必要なの
それは外から与えることができないもの
新しいマイナスが常に必要とされているの
世界はそれで動いているの

くるくると中心がぶれないコマの様にまわりながら
世界はそれで動いているの

新しいマイナスは細胞のなかでうごめく
にぶい輪郭をもった無数の手で僕の体を内側から包む

あの板理

時代がたつと昔の翻訳文は読めなくなるから、今の古典の新訳ラッシュがある。
だって、読むものがホントにないんだから。
なに?今のベストセラーランキング
読んだあとの虚脱感、あのむなしさは何だろう?

いつの時代でもベストセラーってのはそういうもんなんだろうけど、じゃあ口直しでも読むか、となってみまわしても、ん?でしょ?
みんな死んじゃってる。

しぶしぶ、もうこうなったら「始めから死んでる」作家でも読むしかないのかと、手近かにあった文庫本を開けてみたけど、数行読んだだけで全身に蕁麻疹がでてきてしまった。積んでおいた下のほうから引っ張り出したのでカビのせいなのかもしれない。本自体もなんだか湿って変形した死体のようだ。きっとこの人は、一回も生きたことがなかったんだろうな。裁判にひっぱりだされても、運良く無罪になってるし。時代が違ってたら、あの作家みたいに有罪になっていてもおかしくないんだけど。

首だけの存在になるために、計算された道を一直線に走り続けた作家のことを思う。

あれはほんとに、隙をつかれたというか、核心をついてたのだろう。仮面かぶっててもダメなときはダメなんだ。どこかで書いてたけど、あの理不尽な裁判で有罪になったとき、あの作家の頭に天啓のようにひらめいたことがあったそうだ。

わたしは、彼らとは別の生き方を選ぼう。

>祈ることによって正しい針路を定めながら生きていく日々。

>そこに住む人々は苦難にみちた衰退の人生を送った…


引用;異国に生まれなおした人,池澤夏樹,須賀敦子全集1解説,河出書房新社,2000.3.10.

あの琴葉

どういったらいいのか、言ってることに顔があるというか、内心もそのままじゃない?といったところが受付けにくいんだな、わたし的にって、言うなれば。
口当たりがよすぎるというか、うまいなぁ、と感心するんだけど、実際それしかないんでしょ、みたいな。

こんなこと言ったら傷ついちゃうでしょ、という風な気遣いばかりしなくちゃいけない。だから、近寄ってきたら思わず席をはずしてしまう。
あ、ちょっと用事を思い出したんでごめんなさい、みたいに。

いつまでもいつまでも
わたしとあそんでいたい
と言ってたけれど

結局、あなたは自慢と自己弁護しかしていない。
危なくなったら、いつもの避難場所にこもって
自分のまわりに自己韜晦のコトバで結界をはり
壊れていないか手馴れたコトバで、手足の動作を自己確認する。

コトバは社交の道具出会いのあいさつ、
めでたく詠み棄てるのが本来の姿なのに。

引用;すてきなひとりぼっち,谷川俊太郎,童話屋,2008.7.20.
新々百人一首,丸谷才一,新潮社,1999.6.30.

あの場華

ちょっとぉ、なんで私の名前が出てくるわけ?
せっかくみんな忘れてくれてるのにぃ。人の噂も75日じゃないけど、あれは5月の連休のころだったから、もう半年以上まえのことじゃない?ひどいよぉ。

確かに私に下された処分についてはまだ納得いってないよ。この人と同じだ。
でもあんな加齢臭プンプンのオヤジと一緒にしてほしくないなぁ。いやだよぉ、かんべんしてよ。

似てるっても、「不用意な暴言」というところだけでしょ?
ひごろ言ってるブンには、(ウチワじゃ)案外うけてたんだから。辛口ですねぇ、とか。
支持してくれてる人も何人もいたよ。

「ホント、みんなそう思ってるよ。本音言ってどこが悪いんだよね。あいつらホント、ウザイよ。よく言ってくれた。スッとしたよ。これからもその調子でがんばってください」って言ってくれた人もひとりやふたりじゃないんだからね。

それこそ「言論の自由の危機」じゃん?

みんなが無意識に思ってることをオモテに出しただけじゃない?なんでそれが悪いの?ここから意見交換が始まるのならとてもいいことでしょ?そりゃ、被害者とか、気分が悪くなる人がいるからダメだってことはあるかもしれないよ。そういう人への気配りがなかったのは、認める。社会人として失格なのかもしれない。この人も一緒だよね。

お前が言うな、お前みたいな幼稚な人間とあの大義のために体を張った立派な人とを同じ文脈で語るな、って言うけど、、、は?なに?それ?だよね。
組織を守るために、義憤に燃え直言したって言うけど、個人と組織じゃ、ひとりひとりの個人の不満を汲み取れない組織なんてクズでしょ?解体されればいいと思うよ。組織って、個人間の対話があって、おのおのの意見が尊重されてなりたつものでしょ?あの組織はそのトップがモノが言えなかったということだから、ダメじゃん。

たしかに、好き勝手なことを言うな、だよね。
その喜びを保持しつつ、同時にサラリーマンとしての生活の保障を得たいなどというのは虫がよすぎる話だよね。みんながまんしてるんだ。

「芸になってない」だけなのかな。
自分の頭で考えられない人って、ダマされ続けて、死ぬまでそのままなんだよね。
××は死んでもなおらないってよく言うから。そっちのほうが幸せなのかな。
もっと修行しなくっちゃ。


引用;人生について,山本七平,PHP研究所,1994.11.25.

あの芽壺

国際交流の場で出会ったわたしたち。たしかにあなたが言うように人間はさまざまな場所でさまざまな理由からものを書く。書かずにはおられない人たちの中であなただけが浮いていたようです。ほんとうにあなたは、せっぱつまって、自分の中の何かにおわれるようにして書いたことがあるんだろうか。

わけのわからない、自分でもコントロールできない、無意識から吐き出さずにはおられないどろどろしたものが心の底から湧いて出てくる。そのようなものにかりたたれて人はものを書くのだと思っていました。あなたはとても冷静な判断で、計画を立て、結果どのような成果が出るのかを予測し、そのための技術を器用に使って小説を書く。自分が伝えたいメッセージは一義性のもので、誤解されることはない。あなたの意識的に計算され書かれた有名な小説の続編を読んでも、ああそうですか、というような感想しか持つことができなかった。だからあの論文についても、わたしには根本的な誤解があるように思えてしまう。
見える範囲だけで生きているんですね。

無意識のままに発せられているというメッセージ、いまここに無意識のコミュニケーションがあることを伝えるメッセージとして書かれている文学はあなたとは無縁のように思えます。

あなたの国のように産業で成功したところでは、誰もがそのように自分より貧しい人を軽蔑の目で見るのでしょうか。

わたしたちはずっとこのまま亡んでいくのでしょう。
そのことにわたしたちは自分たちの一生をささげていくのでしょう。
選んだ道です。何の不服もありません。
もう二度と会うこともないのでしょう。

あなたが望んでいるように、その成功をお祈りいたします。


引用;デカルトからベイトソンへ,モリス・バーマン,柴田元幸訳,国文社,1989.11.20.

あの群態

社会的包摂が崩壊してしまっているんです。
あなたは頭がある程度いいんです。それに対するプライドもあるし。
孤独があなたを行動へと促した。ひとりでもそばに手を差し伸べてくれる人がいたらこんなことにならなかったと思う。

でも、言ってることは、TVの水戸黄門の世界に近くなってしまってるでしょ。朱子学?なに?それ?ですよ。わざわざ勧善懲悪の物語にしなくてもわかってる人はちゃんと評価してくれてるはずだったんだけど、それが信じられなくなって「もうがまんができない」というわけですよね。

「中は即ち誠なり」です。こちらから見ればけわしい峰だけど、横からみたらだらだらと続く嶺、尾根になる。ひとつのものです。庸だからこそ中を得る。日々誠実に自分の職務を忠実にこなしていることで突然の危機に対応できるのです。

「本来の任務をはたせないでいる者を見捨てていいのか、このままでは日本はダメになる」は私も心にジンときました。でも、そのことをあげつらって相手の非をとがめても一般性は持てない。見ている人は見ているんだから。

たしかにあの時独立に出動命令をだせれば、もっと犠牲は少なくてよかったかもしれない。お隣の国の最近の事例をみれば、そうでもないかもしれない。
あなたの一連の発言で明らかになってるけど、もうあなたたちが民衆のためにあるなどと誤解するものは誰もいなくなった。

敵のために用意しているはずの銃は、いつも同胞に向けられる。


引用;「朱子語類」抄,三浦國雄,講談社,2008.10.10.
社会的包摂の崩壊が「孤独な勘違い」を生む!!,宮台真司,アキバ通り魔事件をどう読むか!?,洋泉社,2008.8.29.

あの力化

旅とは夢を見ることだ、夢はそのままの形で残らない。記憶の中の夢は自分の都合のいいようにどれも変形している。ほんとうの夢は目の前の現実だ。そしてそれを自分のかってな解釈で見ていても、それらは最後にほとんど壊れてしまう。当然だ。

こいつは死んでなんかいませんよ、中尉。夢を見ているだけです。

自分が得た命に対して感謝する。食事の前後に「いただきます」「ごちそうさまでした」とその命に感謝する。嘘だ。自己欺瞞でしかない。そんなことであなたに食われた命が許してくれるとでも思っているのか。自分の卑しい心にへつらっているだけだ。感謝する相手が違う。

男子厨房に入らず。君子(くんし)は庖厨(ほうちゅう)を遠(とお)ざく。目の前の牛の命を助け、かわりに自分の目に見えないところで人に羊を殺させる。人に迷惑をかけるのが嫌だから、自立呼吸ができなくなったら薬で楽にしてほしい。そう頼むことが人に迷惑をかけていることに気がつけ。

ペットをかわいがる。あなたはペットの命を食っているだけだ。おぞましいことだ。

自己の真実は自己のところにしかない。


引用;緑の家,M.バルガス=リョサ,木村榮一訳,新潮社,1981.3.25.

あの縁態

すべて合法的なものだったので恥ずべきことではなかったのだが、居心地が悪かった。
根っからの貧乏性なのか、農民根性がぬけないのか、顧客たちがその生涯の中で汗水たらしてモノを生産しやっと得たわずかな金額を、業界が決定した正規の料金システムによって、吸い上げていくことにとまどいがあった。

客観的には彼は何も形のあるものはつくっていなかった。ただ、顧客たちから得た情報について判断し、相手の生存が優位になるであろう情報を口当たりのいいものに加工して渡しただけなのだ。それに満足しない何人かの顧客がいて、金額は互いの交渉によって決定されるべきなのだと言いたいなら、支払いを拒否すればいい。彼は彼らとその交渉をするつもりはない。債権取立て業者に任せ、状況は彼の手を離れる。

しかし、それには代償があった。悪銭身につかずではないが、むくむくと湧き出るあぶくのように増え続けたそれは、彼に奉仕するものたちへ与えられ消えていった。その浪費はゼロのために与えられたものではない。必然のものだった。
忘れてはいけない記憶がもたらす運命へ捧げられたものだった。


すべてを失ってしまった現在の彼には、以前の顧客たちが持っていたそのルサンチマンは痛烈な皮肉に見えた。
立ち寄った深夜のコンビニで、酔っ払いが彼に聞かせるようにこう言った。
「ちゃらちゃらして金儲けしてるやつらは、俺達にすこしぐらいめぐんでくれてもいいのに」

彼のポケットの中には小銭しかなく、借金は何億にふくらんでいることをこの酔っ払いは知らないのだと思って、彼は微笑んだ。


引用;Babylon revisited,F.Scott Fitzgerald, Saturday Evening Post (21 February 1931)
http://gutenberg.net.au/fsf/BABYLON-REVISITED.html

あの木舎

きみがボクのことを幇間と思ってることは知ってるよ。そう、ボクが普段やってることは幇間そのものだ。たとえば、いまあの週刊誌がまだあって、あの「若者たちの神」という連載があったら、ボクはひろゆきクンを心からヨイショすると思うんだ。若者に取り入るとかそんなことを考えているんじゃない。彼らがどの程度のものであるかは、わかっているよ。そういう経験は積んでいる。ホンモノなんてそういるわけがない。
自分にないものを持っているというだけで、ボクはその人に興味を持つし、その個性を尊重する。そういうことなんだ。
それから、いくら他人がボクのことを反骨精神がある、とか褒めてるつもりで言ってくれても、ボクはそういうタイプじゃないことは知っている。照れた形でボクが否定しても、TVの視聴者にはそんなの見え透いている。嘘っぱちだ、ただの幇間じゃないかとお見通しなんだと思っていつもゾッとしているよ。

だからボクは旅が好きなんだ。
風の色や匂いがその土地その土地で違うのを感じて感激する。
消費文明の気配を意志の力で消して、その土地の風の中にいると、昔の人たちのざわめきまで聞こえてくるような気がすることがある。

もちろん、自分に嘘をついているというか、そんなことは承知の上のことだけど。

たとえば、その土地に土着できるかといったらそんなことはできないし、ある程度は定住できても、その土地の人たちとはいつまでも距離をおいた浮いた存在でしかない。髪の白いひょろっとした男がいつのまにかちょっと離れた場所で彼らをながめている。彼らにとってボクは、「文明の生態史観」的な興味を持った学者か観察者でしかない。自分の学説にそった質問をしないで、彼らと一緒の生活やことばを取り込み、それをまねようとしているところが違うかもしれないが。「スローライフ」のすすめみたいなことを言って、バカにされたりしているんだけど、あれはボクのあこがれを書いたものなんだ。実際そんなことはボクにはできなかった。だから旅をして、世界のいろんな土地の空気の中に自分をおいていると、自分の故郷に帰ったような感じになってとても落ち着いた気分になれる。



引用;ル・クレジオ地上の夢,現代詩手帖特集版,思潮社,2006.10.20.

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