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あの叛卵

彼自身の存在の根源にあったものが想像の共同体にとりこまれて消えてしまいそうになっている、自分の中にあるその残渣が流通している言葉にひきつけられ彼の仕事が始まる。「戦争になれば負けるけれども少なくとも抵抗はやめない。」それをレポートしている小説家の小説が美脚フェティッシュ作家の文学賞の候補になったが惜しくも受賞を逸した。レポートはレポートであり、小説ではない。誰でも小説は書ける。しかし、自分を棚上げして批評するだけで現実に参加していないものには凡庸な風俗小説も書けない。

彼と取引できるものはいない。金をかえしても殺される。そんなことじゃないんだ。彼は自分の主張を持っているんだ。見ただろう?どんな命乞いをしたところで動かされない。彼の言うとおりのことを、きみの主義に反してしゃべったとしても却下される。きみは彼の同志にはなれない。誰でもよかった、と彼は言う。自分でなければ誰でもよかった。拡大自殺にまきこまれたんだ。一種の心中だよ。

彼の喪失感、世間から哀れみの目で見られる屈辱感、憎悪の感情をぶつけるのは自分自身だとわかっているから、それをごまかすために相手が必要なのだ。自分の子どもが死ぬのなら、自然の災害や事故ではなく殺人の被害者として死んでくれたほうがいい。その無念をぶつける相手が存在してくれるだけで気が晴れる、と言った書き込みが某掲示板にあったよ。医療訴訟増えるはずだね。世も末だ。


引用;No Country for Old Men, Cormac McCarthy, Knopf,2005

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