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あの異眠

<自分は昔と少しも変っていない、ずっとこんなふうに町をブラブラしている。中国語では「漂泊」というが、日本語の「浪人」に似ている。(『ワンちゃん』P28)>

彼女は行商人的・流れ者的な活動家なのか、いやそうではない。"頭のいい"前夫と息子に頼られてしまうワンちゃんの以前の名前は愛勤。別に働くことが好きなのではない。そういう役割をいつか引き受けてしまう。仕事の国際結婚の仲人業で、中国人の妻を紹介した八百屋の土村さんならワンちゃんのことを理解してくれるのだろう。自分もこんな苦労をしなくてもよかったのに。楽できたのに。

しかし、どうしてお喋りな可愛いおばあちゃんの日本の息子たちは誰も無口なのか。「父」になれない息子たち。彼らは露出された孤独な「個人」にもなれず、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系はすでに崩壊しつくし、その前からは実在の「女」は遠ざかる。

『ワンちゃん』。それは現代の通念に合せて切りとられた才気ある物語のことではない。「他者」と共有され得る言葉をさがしあて、要するに「幻」と化しつつある世界を言葉のなかにとらえ直すような試みである。漱石が『明暗』で投げかけた問題、どこまでもすれ違う対幻想の中で、日本の社会、アスファルトで覆われた湿った暗闇に、いっぱいの生命力でたくましく太い根を張って行動する作家をわれわれは迎えたのだ。


引用:ワンちゃん,楊逸,文藝春秋社,2008.1.10.
   成熟と喪失,江藤淳,河出書房新社,1967.6

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