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あの天人

「新しい天使」と題されているクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれており、天使は、かれが凝視している何ものかから、いまにも遠ざかろうとしているように見える。かれは顔を過去に向けている。たぶんかれはそこに停留して、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて組み立てたいのだろうが、しかし楽園から吹いてくる強風がかれの翼にはらまれるばかりか、その風のいきおいがはげしいので、かれはもう翼を閉じることができない。

目もくらむ高さから、天使が落ちていく。

一生懸命説得して人を動かそうとしている人がいる。
ことばを過信しているのだ。

実践家というものは、自分を相手に合わせる、ということはしない。決して自分のほうから押し売りはしない。相手が自発的にやらないかぎり、その人は変わらないからだ。世間のあれがいいとか、これがいいという評判で動いているのでは、その人は成長しない。そのままの姿で一生を終えるのだろう。

実践家は風に乗り、歴史をさかなでする。

私に角は生えていません。

真のポレミック(論争的態度)は、食人種が嬰児につかみかかるように愛情をこめて、眼前の事実から真実をみつけ、思いやりと自制心を持ってお互いの関係の中で語り合うこと、お互いの存在を承認し合うことなのだ。


引用;『歴史哲学テーゼ』,ベンヤミン,今村仁司訳,岩波書店,2000

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