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あの青糞

はじめ彼は自分自身を見ているのだと思った。すぐにそれはすべて自分自身と関係のないものであることに気がついた。彼はその中をすごいスピードで落ちていくものでしかなかった。彼が見ているものは永遠だった。はじまりも終わりもないものだった。

もぞもぞと前足を掻き、泥にまみれて土を掘っていくことが快感になっていた。自分の掘った穴がときどき他人の穴とつながった。それは快感以上のものになった。自分の穴に新しい空気が流れ込んできた。古い、もう所有者のいなくなった穴に突き当たることもあった。ひからびた死体がいくつもあった。よどんだ空気が流れるようになって、からからに乾いていた穴の表面にも湿気がもどった。暗闇の中、あちらこちらに無数の自分と同じ生き物の気配が充満していた。

穴は自分ひとりのものではなくなっていた。

物事は自然に、動くように動いているようだった。自分のものが何もなくなったとき、ものに依存する必要がなくなった。なにかを選ぶ必要もなかった。戒を守った。世間の善悪を評定する前に行動することができた。他人のために祈った。


引用;『虫の生活』,ヴィクトル・ペレーヴィン,吉原深和子訳,群像社,1997.11.20.

あの絶望

あなたは、助けられなかったというが、ほんとうの加害者はあなただったのではないのか。

この建築物の特徴として、あらゆる側面に主観がどこまでも食い込んでくる装飾の様式がある。構内のあらゆることばはモノローグで構成されている。自意識が他をよせつけないまま保護されている。心の底から染み出てくるものではなく、すべて自分が見るもの聞くものを材料に、それらを寄せ集めて飾っているから、なにをしなくても表面からぼろぼろと落ちてくる。もろいものだ。このもろさは、実はむつかしい。勁烈なもろさとでもいうべきものだ。一種迅烈無残な断片と言っていい。

私は悪魔になってしまいました。もともとそうだったのかもしれません。

悪をもおそるべからず、ほんとうにそんな必要はなかったのだ。オープンにしていたコメント欄に書き込まれていた言葉と同じで、それは不可視の敵の言葉でしかない。ボタンひとつで行われる空爆と同じで、そんな実体のない敵と直接闘うことなど生身の人間にはできない。敵の武器は、自分の存在を正当化するためのモノローグでしかない。そんなものは必ず自滅する。あなたは言葉などに頼らず、身近な人間の善意を信じ、もっと自分を悲しむべきだったのだ。



引用;『萩原朔太郎ノート』,村上一郎,国文社,1975
『14歳の子を持つ親たちへ』,内田樹名越康文,新潮社,2005.4.20.

あの熱射

祭壇の前に木の棒が何本も立つてゐた。棒の先から木肌の削つたものがたくさんぶら下がつてゐるやうな形になつていた。無人の集落を出て、そのまま鬱蒼と茂る木々の間の細い道を山の南に下れば荒野があつた。「風勁(つよ)くして草も栄えず。浪哮(たけ)り砂飛びて、其凄まじさ久しく在るに堪へず。」海の近くに幽(かす)かな木叢(こむろ)があつた。立寄つて見ると小さな墓が二つ三つ並んで立つてゐる。昔から海で死んだ人の、此浜に漂着したものがあると、皆此処に葬るのが習で、偶々身寄の者が弔ひに来て、墓標を設けて帰らんといふのであれば、亦此処に建てさすのだと聞いた。

手つかずの自然のなかにではなく、人間の暮らしと自然との接点にある風景。風に飛ばされ色が掻き消へていくこの地の、天然と人間との交渉のひとつの結末とでもいふ痕跡が此処にあつた。

いま、自然と人間との境界でのボディカウンターの数字が8万を超へた。ジャン・ルイ・マルゴランなどに拠れば、2、3桁違ふといふ。数字はすでに逆転し、人間の数字が圧倒し、しかも継続して増加してゐる。もちろん私などには、鹿と間違はれて剥製になつた犬の気持ちなどわかるはずもない。


引用;『海の精神史―柳田国男の発生』,赤坂憲雄,小学館,2000.12.20.

あの耳栓

「この女の人、分解可能だよ(She comes apart.)」
子どもは解体し始める。
義眼がはずされ、義足、義手がスポッとはずされる。
やわらかな皮膚がめくられ、その下のラップにくるまれた内臓がとりだされる。
骨と筋肉をひっぱっていたワイヤがゆるみバラバラになる。

敵意に満ちた曇り空の下で、みずからのエゴの執拗さのなかに閉じこもって、子どもは熱中する。

「商品に手をつけるな」というルールに従うものはいない。

彼はすでに自分を含めた知の全カテゴリーの主人であり、全能であり、すべてに対する答えを持っている。もはや語るべき何事もなくなった時代に、恍惚を伝達しようとする。自然を否定し、みずからが自然的存在であることを否定するものたちの完結した存在様式の中に、微細な間隙をあける。系がカオス化する直前の縁に秩序を生み出し、適応としての多様性を産み出そうとする。

常軌を逸脱した行動に見える。沈黙によって回収するしかない情念によって、遠くはなれた限界の地から、自由なる愛の祝宴liberal love-feastを主催する。燃えるゴミの日のビニール袋とともに興奮はあとかたもなく消え、参加者の歓喜の声を誘い出す。

人間は行動の炎のなかに自己の否定性を汲みつくすことはない。




引用;V,Thomas Pynchon,Lippincott(1963.3)
『肯定と否定的思考への情熱』,モーリス・ブランショ,清水徹訳,筑摩書房,1982

あの高塔

獣の霊がついてますね。
今ここでお祓いをしてもすぐにまた憑くにきまってますから、やりません。
一時しのぎを繰り返しているうちにだんだん体力がなくなってきて、あなたがダメになります。
体が悲鳴をあげているのに、現在の症状を無理やりおさえているんじゃ、それがまたどこか他の部分に出てくるだけです。
あなたは、いまそれに反応するだけの感覚が残っているから、まだ望みがあるんです。
それもなくなったら、もうおしまいですね。

この獣は、軟体動物が自分の触手をたべるように、自分の体まで犠牲にしちゃうよ。
自分の言った冗談に、笑っているのが自分ひとりであってもへっちゃらなんだ。
存在そのもののうっとおしさ。
「表現以前」と言っちゃえばそれで終わりだと思う。
芸がないというか、勉強不足というか、このうんざりしちゃう俗っぽさには意味がつけようがない。
ほんと、場違いという感じ。

「誰がこんなもんを入れたんだ」
「窓から飛び込んできたんです」
「それそれそこに、それ、主たちの廻りによ」
「あれえ」
「およそ其奴等(そいつら)がなす業じゃ。夜一夜踊りおって騒々しいわ、畜生ども」てな感じ。

もちろんそれに反応する自分について考えてみるべきなんだけどね。
この獣の霊に対する憎悪の感情はどこから湧いて出てくるのか?
なぜこの獣の霊を排除したいのか。
この獣の霊を攻撃するとき、当然のように自分が持っている正義感はなに?



引用;悪獣篇,泉鏡花(明治38年12月)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/4563_24909.html

あの後期

夜の長い時間に、ぼんやりと人の人生が暗礁にのりあげてしまうことについて思い巡らしてきました。わたしにはこう見えるのです。生まれつき持ったなんらかの判断力の欠陥によってそのような悪い結果になるのではない。だって、多くの人たちはいい判断力を持ってたんだから。そうじゃなくて、このように見るべきなのです。教えられて経験を積み、正しいことを知りながら、それを実行に移さなかったからそうなったんだ、と。安逸をむさぼっていたり、義務より先に楽しいあれやこれやを選んだりしていたからそうなったのです。それと、2種類の恥についてあなたにもう話しましたっけ?

ひとつは、労働集約型から資本集約型へと産業構造をシフトさせること。これからの少子高齢化社会で労働力人口が減少するのは当然。すでに、資本集約型の中でも移動が激しくて、施設間の格差がでています。恥です。もうひとつは、安い賃金で過重な労働可能な人的資源を外国から輸入すること。これは移民問題であるし、あの国みたいに、フロンティアを求めて世界一周する去勢された〈美しい魂〉の問題でもあります。恥です。

恥を知るものは相対峙する対象と一体化するべきです。そのとき、可動閾・範囲は広がり、自分ひとりの力だけではできなかったことができるようになるのです。

自分の才能に興奮して気分が昂揚しても、冷めた後の虚脱感、イライラして落ち着かず、気持ちの渇きは何によっても満たされないことばかり。孤独にたえられなくなって、自分探しの旅ですか?

骨盤底部の過緊張、縮みからきているのですね。仙骨が前のめりになっている。荷物が重過ぎる?でも、お荷物を自分の見えないところに排除して、それでほんとに気分がおさまるのですか?

自分の感覚を信じましょう。そして行為の実践を離れた主体性は存在しませんし、存在することができません。主体は与えられたもののなかで制定されるのです。自分に向かってくる他人との関係とその周囲の事情が行動する意味と行為を決定するのです。個性というものがあるとすれば、主体性がその本質において実践的だからです。実践的主体以外の主体は存在しないのです。



引用;Hippolytus,Euripides(428 BC)
Translated by E. P. Coleridge
http://classics.mit.edu/Euripides/hippolytus.html

『経験論と主体性』,ジル・ドゥルーズ,木田元・財津理訳,河出書房新社,2000.1.14.

あの死父

彼女の中に誰かがいる。
ぼくの赤い左目が彼女を見つめていた。

いつかすごいエネルギーを持ついばらのとげがぼくたちのまわりを取り囲んでいた。
このびっしりつまった憎悪の感情はなんなんだ?

しらずしらず逃げ道を探していた。

突然、彼女の唇が動いた。

「待って!あなたが思っていることがわかるわ。まわりをとりかこんでいる彼らはわたしの怨念から発したもの。だからわたしの興奮が落ち着けば消え去っていくのだろう。そのとおりよ。でも、彼らの本当の恐ろしさをあなたはわかっていない。彼らのヒト吹きであなたの頭なんて飛んでしまう。自分自身に聞いてみることね。今日ボクはついてるんだろうかって(Do you feel lucky?)」

「選択する権利はあなたにある。もちろん、その責任もあなたに所属することになる。あいにく退路はすべてふさいでしまった。ごめんね」

絶望しても解決にはならない。

つなぎあわせたロープがたとえ9回切れたとしても、10回目のチャレンジをしなければならない。

「さあ、どうするの、ずっと負け犬?」

ぼくは自分の未来を選択した。
抵抗はしなかった。
彼らにいためつけられることが、自分を変えるとは思えなかった。


引用;Clint Eastwood as Inspector Harry Callahan in the movie "Dirty Harry" ,Don Siegel(1971)

あの迢空

いま問題になっている「みぬま」や「みつは」であるが、これらは一語である。
「生立(おひたてるか)若水沼間(わかみぬま)の、いやわかえに、み若えまし、すゝぎふるをとみの水のいや復元(をち)に、み変若(をち)まし、…」の「若水沼間」であるが、この前にある、「をち方のふる川岸、こち方のふる川ぎしに」というフレーズにヒントが隠されているように思われる。

我が古代語の「妣(はは)が国」は、海のあなたにあり、そこから来る祖先の霊を迎えることを「母小(あんがまあ)」と言ういきさつは前回に話したとおりであるが、これらの霊は迎えられ饗応を受け、家の主人・主婦等に教訓を残し批難して帰る。「ことほぐ神」と「そしる神」である。一方的な断定なのである。

さて、「をち方のふる川岸、こち方のふる川ぎしに」である。
川の向う岸、こちら岸は主観の位置を示すだけのことばになった。フラット化がすすみ、祖先の霊も神も死に、偶然そうなった実存の位置を示すだけのものになったわけであるが、こちら側にいるものにとって向う側にいるものは、交流がない場合、他者といっていい。他者が一方的な断定をしてそそくさと帰っていく。反論は許されていない。それゆえ、こちら側にいるものの発語は被害者の言葉になるだろう。

「殺される側の論理」である。「殺される側」に対置するのは「殺人者」である。「殺人者」は帰ってしまっていま、ここにはいない。「殺人者」が不在のままの社会で全員が「殺される側」の人間であることを確認する。帰っていったものの言葉をしゃべるものは「殺人者」として遇され排除されるだろう。生まれ育つものは、清らかな流水の禊(みそぎ)によって穢れを落とされなければならない。しかし水は汚れた。祖先の霊や神がいる純粋な世界の水はなくなり、この世界を永遠に循環している自己愛に満ちた水しかいまはない。

いつたいに、自己愛から生じる正義は「汚れた下着」と言われるのであるが、「汚れた下着(生写真付き)」を買う人にとっての正義とは何なのか、また売る者にとってそれは手近かな換金方法であるが、その行為の中に快楽は潜んでいないか。またこの関係は、わたしには授乳時期の母子の関係と相似に見えてしまう。とすれば、汚れた下着を求めるものは口唇期に固着したものといっていいだろう。

ここで以前からの疑問を問うてみたい。
嫌煙活動家の、あの喫煙者に対する憎悪の感情は何処から湧いて出て来るのか。
上の論理(?)をなぞれば、口唇期に固着しているものへの憎悪、つまり(自分の)母親の乳房をとられてしまったものの恨みのように思えてしまう。

動物保護活動家の、死刑廃止論者に対する憎悪の感情も同様である。
「死刑が人殺しであるなんて言ったら怒りますよ」
動物保護活動家の「動物」は自分が感情移入できる動物のことであり、自己愛の対象でしかないのだろう。
帰っていったもの、他者を擁護するものへの攻撃・排除は全体からの抑圧となり、あらゆる隙間を埋めていく。
「若水沼間」は、手入れもされず枯れて行くのだろう。

引用;折口信夫「水の女」(1927)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/24437_14422.html

あの植林

見せる ま、出る(新聞に)
実際 わざわざ ご都合主義だといえる
ま、しゃれにならん。

Rシェル ま、出る(CO2が)
そんでも木、本当なら損
飛んできたので損

植えりゃいいのか 植樹 空輸
これもあれも不穏なせい
堕ちる愛、不安な人生
30gの差でオン、ジャガーはNOとゆうたんだけど

Rシェル ま、出る(CO2が)
そんでも木、本当なら損
飛んできたので損

ニートってそういやそうだな、いまは
あれもちょとした迷宮だしー
終っちゃったみたいだ、罪(つみ)ー
アンチで愛、愛も本気ですっぴんだったのか、ある意味・・・

あざらしー



飢えりゃいいのか、魚(うお)ならいいのか
汗臭くて気がなえる
げに寒さはつのる
雪ちる間の抗議と、そのあげくの2430万ポンド

Rシェル ま、出る(CO2が)
そんでも木、本当なら損
飛んできたので損

30gの差でオン、ジャガーはNOとゆうたんだけど
ま、みっともないか。

30gの差でオン、ジャガーはNOとゆうたんだけど
ま、みっともないか。


あの超人

マイブラザー、運が良けりゃたやすく橋を渡って向こう岸にいけるぜ。

「表現の自由」や「学問の自由」について論議が起こるキッカケになるトンデモ(飛んでる?)発言や行動!
そんなのは、無意識の奥底から原油のように噴出してくるものだ。
だから、初期消火に失敗したり、不用意な奴や故意に火気を所持していたものがいた場合あっという間に炎上してしまう。

だけどよぉ、またたく間にこの時代を駆け抜ける炎について、その燃料は本来なら精製されてしかるべきエネルギーとなり何かを動かしていたというわけだろ?

だろう?
だから、ただそれがメラメラと燃えているのを、昼メシを食べながら、どこかのものほしから、遠方の火事を見物するように、眺めているのでは芸がないわけよ。

いってみれば、そんなのは健康な身体の機能から自然にでてきたものだからさ。
つまり、無意識のレベルに蓄積されていた、そゆ原材料について、見過ごす手はない。何かあると思うぞ、オレは。

それから、火種を自己のうちに抱えている奴ってさぁ、
緩解しコントロールできる状態になっても、すっきりくっきりと以前の状態に戻るわけない。
そんな奴らは、いってみれば無を望んでいるわけよ。
そのうち自分と一緒に世界を破滅させてしまうんだよね。
まるであの時の、あなたを追って出雲崎、マイブラザー、きみのように。

いくつもいくつもいくつもの夜が過ぎ、
ひとりで家で座って、あなたを思って泣く、
あいつらが言ってることはぜぇったいぜぇったいホントのことじゃない!

Shit! shit! 嫉妬!



引用;Friedrich Nietzsche,Thus Spoke Zarathustra (1883-85),
translated by Thomas Common
http://ebooks.adelaide.edu.au/n/nietzsche/friedrich/n67a/part8.html

The Shirelles,"Baby, It's You", (Burt Bacharach/Hal David/Barney Williams)

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