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あの少女

ブライスランドを出発した。おしゃべりなローは黙っていた。つめたいクモのようにパニック背中を降りていった。

沈黙を破ったのは彼女だった。

「あ、リスがひきつぶされてる、なんてことをするんだろう」
「わ、ほんとだ」
「こんどガソリンスタンドがあったらとめてちょうだい」

私たちは世間の包囲網のなかにあった。自分たちの国の処女性を守れと集団自決を促したおなじ人たちが、彼女の処女性についての抗議の集会を開こうとしていた。私たちには手の届かないところで物事が動いている。彼女の祖母でも笑うような時代錯誤的なパターナリズムを弄した意見が、哀れなハンバート・ハンバート(私だ)と少女を閉じ込めようとしていた。コンドリーザの言うとおりにすれば、海の向こうの人たちとフラットな関係になれるのだろう。

彼女に目をやった。ありがたいことに小さい子どもは微笑んでいた。
愛想よい微笑みを私に向けて彼女は言った。
「ほんとに何てことしてくれたの。警察に電話して、あなたに強姦されたと訴えなくちゃ」

あの吐夢

あのネコとネズミの話の最終回について、いろんなバリエーションが巷間でささやかれている。世界はどのように終わるのかということについて各自に思い思いの意見があって当然だ。

ほとんどがネズミが次のように回想しているエピソードだ。あのネコは偉かった。あのネコが死んだいま、ぼく(ネズミ)は生き残れるとは思えない。違ったシステムを新しいネコが要求してきた。ぼく(ネズミ)はそれに対応できない。あのころはよかった。

わたしは追いかけられ逃げ回るネズミだ。永遠の消費者だ。立ち止まれば食われてしまい、自分の存在はなくなってしまう(と思い込んでいる)。いろんな提案をすることは可能だ。それがうまくいったときは、まるで追いかけているネコの鼻をあかしたような気分になれる。しかしむなしさがある。そういう風に提案するのも(追いかけているものの)想定内のことなのかもしれないという疑惑は付きまとう。

いま勢いのある集団は、エネルギー効率的にそのやり口を長期間続けることができない。あまりに無駄が多すぎる。人的資源でそれを補うにも限界がある。人体に有害な排出物を処理しないままここまできたが、いまはそれを自分の製品から分離することさえ困難になっている。

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