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あの側転

夜が明けないうちに自転車で24時間営業のスーパーから帰る途中、イヌエケンゾウは薄暗い視野の先に黒い輪郭の生垣に両側からはさまれた細い道の上をふらふらと歩いている男の影を知覚した。男の左側を抜けようと進んだとき男が立ちどまり、手に持っているリード縄をひっぱる。舗装が破れた道の表面に近い低さから角度を持って黄色い大型犬の長い鼻がこちらを差し、じゃまをされ何か問いたげな調査中の人類学者の余裕と共に無垢な光をたたえた眼を持つ顔が生垣の間から漏れる光に浮かび上がる。その脇をより左側へすり抜けようとしたとき、その鼻の先は次の獲物にすでに向かっている。無数の羽毛が大気を膨張させんが勢いで当たり一面に散乱しているなか、血をしたたらせぐったりとした鳥をくわえて走る夢を追っている水平に伸びる背中をイヌエケンゾウは自転車の上から見送る。

イヌサフラン・イヌタデ・イヌホウズキ・イヌコウジュ・イヌビユ・イヌザンショウ

価値のある植物とよく似ていながら非なるものに接頭辞としてイヌをつける。
人の機嫌をとるようにこびへつらって近づいてきたものが期待していたものと似て非なるものであったときの失望感がそう名づけさせているのか。もちろんイヌに落ち度はない。

ではイヌと言われブーツを投げつけられたあの男は無実か?幼児的にニュートラルであるために「楽しかったよ」と臆面もなく言っているあの男は言葉どおりにイノセントなのか、とイヌエケンゾウは考えた。

明暗雙雙、底の時節(のあることを知るべし)。

明から暗に水をくぐって滑り渡り、その一部分を垣間見たところであの小説は中断している。しかし、人のことは言えない。住んで人間(じんかん)で出会った訴訟の答えを遠い地で知るような手配をしたのはまずかったな。あの作家は遠い地から帰ってきてその身にまとわりつく暗を自分の体全体でひきうけた。それとは似て非なる行為だ。明からでるつもりがないことがバレバレだ。そんなことなら開き直って、道情(Dao Qing)つまり路上ライブのハンストでもやって道を説けばよかったのかもしれない。もちろん冗談だけど。


引用;夏目漱石『明暗』解説,大江健三郎,岩波書店,1990.4.16.
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