So-net無料ブログ作成
検索選択

あの膳衣

「私たちのビジネスは終了してしまったようですね。もうあとはあなたが二階で短い契約書にサインするだけです。その契約書も、今夜ここで私たちが合意したことについての文書もあなたには渡さないけどね」

わたしたちは堅い握手をした。

なぜ彼に対して責任を感じなければならないのか。それは別の人生で答えてもいい質問のように思える。しかしわたしはそれに答えてしまう。サーシャが幸せになることはわたしの喜びなのだ。そしてサーシャがかわいそうな目に会うのは、わたしの誠実さ(conscience)の海の上の岩礁のせいに思えてしまう。

誠実さ?彼女への想いはわたしのひとり芝居なのだろうか。
たとえば「貴重な命」ということば。
「貴重な命」ということばが発せられるときにはいつもその前に、発言者の(わたしのように)という形容詞句が隠されている。

「(わたしのように)貴重な命」がなんとかかんとか。

だから「(わたしのように)貴重な命」と言っていた人が、自分の生存を脅かすものへ攻撃を加え、他人の命を道具にしたり物理的に排除したりするようになっても少しもおかしくない。当然の結果だ。

「名もない雑草」ということばに敏感な人がいた。
「雑草にはすべて名前がついているので、名もない雑草なんて此の世にはありません」

「(わたしのように)名もない雑草」というようなことばを使って自分の考えを押し付ける、自己欺瞞をして他人を見下している人に対して厳しい人だったのだろう。昔の人はみんなそうだった。


契約を交わし、「私たちは友人」になった。


引用;Absolute Friends, John le Carre, Little,Brown and Company,2004

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。