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あの後期

夜の長い時間に、ぼんやりと人の人生が暗礁にのりあげてしまうことについて思い巡らしてきました。わたしにはこう見えるのです。生まれつき持ったなんらかの判断力の欠陥によってそのような悪い結果になるのではない。だって、多くの人たちはいい判断力を持ってたんだから。そうじゃなくて、このように見るべきなのです。教えられて経験を積み、正しいことを知りながら、それを実行に移さなかったからそうなったんだ、と。安逸をむさぼっていたり、義務より先に楽しいあれやこれやを選んだりしていたからそうなったのです。それと、2種類の恥についてあなたにもう話しましたっけ?

ひとつは、労働集約型から資本集約型へと産業構造をシフトさせること。これからの少子高齢化社会で労働力人口が減少するのは当然。すでに、資本集約型の中でも移動が激しくて、施設間の格差がでています。恥です。もうひとつは、安い賃金で過重な労働可能な人的資源を外国から輸入すること。これは移民問題であるし、あの国みたいに、フロンティアを求めて世界一周する去勢された〈美しい魂〉の問題でもあります。恥です。

恥を知るものは相対峙する対象と一体化するべきです。そのとき、可動閾・範囲は広がり、自分ひとりの力だけではできなかったことができるようになるのです。

自分の才能に興奮して気分が昂揚しても、冷めた後の虚脱感、イライラして落ち着かず、気持ちの渇きは何によっても満たされないことばかり。孤独にたえられなくなって、自分探しの旅ですか?

骨盤底部の過緊張、縮みからきているのですね。仙骨が前のめりになっている。荷物が重過ぎる?でも、お荷物を自分の見えないところに排除して、それでほんとに気分がおさまるのですか?

自分の感覚を信じましょう。そして行為の実践を離れた主体性は存在しませんし、存在することができません。主体は与えられたもののなかで制定されるのです。自分に向かってくる他人との関係とその周囲の事情が行動する意味と行為を決定するのです。個性というものがあるとすれば、主体性がその本質において実践的だからです。実践的主体以外の主体は存在しないのです。



引用;Hippolytus,Euripides(428 BC)
Translated by E. P. Coleridge
http://classics.mit.edu/Euripides/hippolytus.html

『経験論と主体性』,ジル・ドゥルーズ,木田元・財津理訳,河出書房新社,2000.1.14.
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