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あの芻狗

もう五時ですね?
私に声をかけられた男は、あわてて腕時計を見た。
動物は自分のまわりにそれぞれに独特な環世界を持っている。われわれはコウモリであることはどのようにあることなのかを知りえない。というより、それがどのようであるのかという問いの意味を知るには、コウモリの感覚器をもってコウモリの体で行動してみることが必要だ。ヴァーチャルな世界の中での理解でも、少しはコウモリに近づけるのだろう。

あの船に乗って、どこか遠いところに行きませんか?
男は立ち上がり、慌てて自分の巣へと逃げ去っていく。
自分の外へ出て行った言葉が、自分に帰ってくる。猫が毛糸球で遊ぶように、私は言葉で遊んでいる。猫は毛糸球を本気で攻撃する。遊びが終わったとき、猫は毛糸球を不思議そうに見る。

「他人の身になってみればわかるでしょ」という感情移入で、倫理を基礎付けることができるのは同質化志向の「蓄群」だけだ。猫は自分が家畜だとは思っていない。あなたも、猫のように生きているのだろう。


引用;富岡多恵子 『芻狗』講談社 1980
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